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評論家・雑誌「暫-ZAN-」編集長である三浦純平が哲学・思想・政治・芸術・お笑い・映画・猫など全般的に語ります。

評論家・雑誌「暫-ZAN-」編集長 三浦純平ブログ
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プロフィール

三浦純平

Author:三浦純平
1983年岐阜県生まれ。明治学院大学法学部政治学科卒業。
評論家、電子書籍雑誌「暫-ZAN-」編集長。

2010年、雑誌「表現者」30~32号に秋葉原事件についての評論「不安の現象学」を寄稿。

2019年7月、電子書籍雑誌「暫-ZAN-」を発刊。

専門は特にない。思想・文学・政治・映画・演劇・お笑いなどのジャンルで様々な表現を追求すべく、画策している。

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愛らしい家… Feb 17, 2021
自己啓発系… Feb 16, 2021
物事をうま… Feb 15, 2021
散らばった… Feb 14, 2021
宇宙もの映… Feb 13, 2021

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愛らしい家族達 映画『愛のお荷物』レビュー

2021/02/17 07:00|映画TB:0CM:0

人口爆発をさせないために受胎制限を考える厚生大臣の家で続々と発覚するおめでたに翻弄される一家の物語。

コメディとして終盤まで静かに展開するのだが、最後の最後でドタバタ喜劇の様相になる。登場人物達は誰一人として悪者は存在せず、のほほんと幸せを感じながら観られる作品。人物造形もそれぞれキャラ立ちしていて見事。

家族内で行われる「政治」も、家族愛によって包含され、跡を濁さずハッピー・ドタバタ・エンド。

大正モダンな雰囲気を昭和を舞台にして行われる今作は、コメディとしてもお見事。声をあげて笑わせてもらった。

川島雄三作品の秀作。

※2009年7月11日の記事です。


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自己啓発系がダメな理由

2021/02/16 07:00|思想・哲学・文学TB:0CM:0

キングコングの西野亮廣吉本興業のマネージャーに対して説教したことを表に出し、吉本を退社した。この件でも分かることだが、西野はすでに分かりやすい自己啓発系の教祖になった。彼は、批判的な視座を持った人間、つまりは他者をもう必要としない楽園で、自分の正当性を絶対的なものにし、好き勝手やるだけである。

いや、別にやりゃいいんだけど、興味無いから。ただ、自己啓発系の人間たち、自己啓発を名乗らずとも、自分たちのことを一切疑わない集団は、「自分たちの意見を認めろ、俺たちは宗教じゃない」とかうるさいのであるが、そのような主張をしつつも、彼らに対して話をすると、彼らは彼らのやり方以外は絶対認めない。ここが問題なのである。

自己啓発系の集団は、自分たちの存在を認められるためには多様性というワードによって自分たちを認めてもらおうとする。しかし、自分たちのやり方を批判されると強烈に、偏執狂的に怒り狂う。こういう振る舞いが宗教的と言われるのだが、自分の正しさをシェアするために、他人をダシに使った西野はこのあたりの常識的な部分ももう分らなくなってしまったのか。異常である。

今述べた自己啓発系の問題点は、新興宗教にも当てはまるのだが、もう一つの自己啓発系の問題点は、今ある自分たちをそのまま肯定する、してくれる言葉を求め、今の自分を肯定するだけにとどまらず、今の自分を固定して、絶対化してしまうところにある。

自己啓発系の心理学に僕が反発を覚えるのは、その心理学を必要とする人たちへのアドバイスは、彼らが今のように思い悩む、自己啓発系の言葉を必要とするという状況を脱するということが根本的な解決であるはずなのに、いつまでもその人たちの悩みを聞き続け、今の彼らを肯定し続けてしまうため、彼らはいつまでも思い悩んだり、自己啓発系の言葉を必要としたりという状況を延長させてしまう所にある。

自己啓発系の言葉が必要になるような時期は確かにあるであろう。しかし、いつまでもそのような状況にいてしまうような認識を変えることが何よりも重要なのであって、それを固定し、甘やかし、いつまでも悩みが消えないような言葉を吐き続ける心理学者など曲学阿世の徒だと言ってしまっていいと僕は思っている。

また、自己啓発が好きな人間たちは、今世の中で正しいとされている価値観・常識について疑うことがなく、過剰に適応することによって成果を出そうとするのだが、懐疑できるというところが人間知性の一番大事な部分であると思っている僕からすると、このような過剰適応のスタンスも受け入れられない。

つまり、全般的にマジ無理な人たちである。

※2021年2月10日のツイートを元にした文章です。


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物事をうまくやるということ

2021/02/15 07:00|思想・哲学・文学TB:0CM:0

政治上の立場というものを考えずに普通に考えてみると、ある物事について、間違いなく、支障が少ないように進めていくためには漸進的に物事を進めるしかない。

そもそも急進的に物事を進めるということが、近代における組織運営・政治的な政策決定以外にあり得るのかが僕には疑問である。

さらには、急進的な変化を求めたがる人々がその急進的な物事の進展によって期待しているのは、実際に物事がうまくいくかどうかにはない。それは、彼らの憂さなり気持ちの鬱積を解消するための決定でしかない。

つまりは、その政策決定の意義とは、彼らの感情の充足ということでしかなく、現実に物事がこれからもその政策決定によってうまくいくかどうかは、彼らには関係がないのである。左翼が無責任な所以である。

そもそも、彼らは漸進的な物事の変化、つまりはいろいろなことを考えて、うまく物事を進めていこうとする態度を持っていない。ということは、今までの物事のあり方を壊そうとしているのであるから、物事を上手く進める、うまくやる=workということについて一切考えていないと断じても問題ないのである。

しかし、漸進的にしか進まない現実は終わらない。変わらない。ある局面で急進的に変わったかに見える現実は、何も変わってはいないのである。

改革主義などという、僕からするとめちゃくちゃな態度は、物事に対する構え方において、破壊主義である。

リベラルは、人間のためとか、寛容とか、包摂とかなんか優しい感じのワードを好む人々であるのだが、物事を進めていく態度において破壊主義者である彼らが人間の何を守れると言うのだろうか。そして、彼らが壊した後の残骸から、僕達に何をさせようと言うのだろうか。

彼らの自重のみが現実を、社会を守る。あまりでしゃばらないようにしていただきたいものである。

※2021年2月11日のツイートを元にした文章です。


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